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☆2017年の見通しー5

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【前回記事】日欧の金融政策

原油生産量

2016年12月、OPECと非加盟国は、原油価格維持のために協調減産を決めた。

OPECは合わせて日量120万バレル減産し、3250万バレルを超えないようにする。
非加盟国は合わせて60万バレル減産するとした。減産は収入源につながるとして、合意は困難だと見られていたが、OPEC最大の産油国サウジアラビアが、大幅な減産を主導することで、2017年1月からの協調減産を決めた。

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サウジアラビアが日量48.6万バレルを減産、イラクが21万バレル減、UAEが13.9万減と続く。経済封鎖からの解除間もないイランは、減産を免れた。

非OPECのロシアは30万バレル減だが、1月から5万バレルずつ減産し、6月時点で30万バレル減に達するとされる。

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減産が必ずしも減収に結び付く訳ではない。サウジアラビアなどは、原油価格を55ドルから60ドルで安定させるとしている。減産合意を受けて、原油価格は当時の45ドル近辺から50ドル台前半にまで急上昇した。

減産を免れたイランの産油量は日量379.7万バレルとなっている。これを合意前の1バレル45ドルで売ると、原油収入は1億7087万ドルになる。これが目標価格の下限55ドルで売れると、2億0884万ドルとなり、1日当たり3797万ドルの増収となる。

一方、サウジアラビアは減産前の日量1054.4万バレルを45ドルで売ると、4億7448万ドルだが、55ドルになると、48.6万バレル減産しても5億5319億ドルと、毎日7871万ドルの増収となる。つまり、サウジアラビアは必ずしも犠牲になったわけではない。

ロシアはもっと原油高の恩恵を受ける。生産が30万バレル減となる6月でも、原油価格が55ドルなら、45ドルの時よりも1日当たり9560万の増収となるのだ。

合意がなくて、45ドルのまま、あるいはそれ以下に下げることを鑑みれば、合意は実際の減産前に、既に相応の恩恵をもたらした。

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問題は、非OPEC諸国が残りの30万バレルを減産できるかだ。メキシコは10万バレルの減産で協力するほか、オマーンやアゼルバイジャン、カザフスタンなども生産を減らすと言明した。大産油国だった米国は、原油価格の値下がりを受けて、既に大幅減産となっており、減産要求を免れた。

とはいえ、カザフスタンは16年間500億ドル以上の投資を行って開発したカシャガン油田が、2016年10月に初めて輸出を開始した。減産は最小限にしたいところだ。

また、米エネルギー情報局は2月の原油生産量は1月より日量4万1000バレル増加するとした。米国のシェール原油は採掘コストのばらつきが大きい。原油先物が50ドル台になってからは、採算に見合う業者が、2017年、2018年と先々の原油先物を売り、最小限の利益確保に動いている。これは原油価格が上昇すればするほど原油先物が売られ、その分が増産できることを意味している。つまり、原油の増産圧力は大きい。

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一方で、中国は2016年に前年比で6%以上減産、2017年も7%ほどの減産と、2年連続で大幅減産となる見通しだ。

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原油はエネルギー源として長らく主役を務めてきた。動力源だけでなく、電力源としても主役だった。しかし、電力源の主役は、急速にクリーンエネルギーに取って変わられつつある。

IEAの試算では、米国と欧州では2021年までに、再生可能エネルギーが同地域の電気需要のすべてを発電できるようになるとした。

2016年12月24日単日を例に取ると、スコットランドのクリスマス・イブの電力需要は、時間当たり5万6089メガワットで、WWFスコットランドは、風力発電が、その日のスコットランドの総電力必要量の132%を発電したと報告した。

電力は蓄電することで、動力源にもなる。このことは、エネルギー源として原油の最大のライバルはクリーンエネルギーになる可能性が大きくなった。

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これらを総合的に判断すると、原油価格が安定して上昇していける見通しが立たない。むしろ、OPECの望む55ドルー60ドルは限界的な高値の可能性が高い。ちなみに、原油価格が1バレル47.17ドルと割り込むと、サウジアラビアは増産することでしか、45ドル時代の収益を確保することができなくなる。

クリーンエネルギーは、エネルギー源のない日本の専売特許だ、と思われていた時代があったように記憶している。しかし、今最も遅れているのが日本だ。電力行政のツケを、将来的にも払い続けていくのだろうか?

次回は最終回、2017年の相場見通し。

矢口 新

矢口 新

大学卒業後、国内外の大手証券会社にて為替、債券のディーラー、機関投資家セールスを勤めた後、株式会社ディーラーズ・ウェブを創業(2002年5月~2013年5月)。2013年4月まで同社代表取締役社長。