FXコラム

アジア通貨危機の教訓 ー上ー

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外国為替市場コラム|2014/04/07

アジア通貨危機は、1997年7月のタイ・バーツ急落から始まった。
それまでタイ・バーツは、実質的に米ドルとリンクしていた。ドルリンクあるいはドルペッグ制というのは、例えば、1ドル10バーツ内外で長期間固定するというものだ。このことは、1985年に1ドル260円だったドルが、1995年に80円を割り込んだ時、その期間にタイ・バーツとの交換レートに見直しがなかったとすれば、26円から8円に下落したことになる。当時のアジア諸国の多くはドルペッグ制を採用していた。1980年代後半以降、東アジア諸国は輸出主導で高い経済成長率を実現した。1985年から1995年にかけての10年間、タイは年平均9%の経済成長率を記録したが、通貨安の恩恵が高かった可能性が高い。

とはいえ、米国とアジア諸国の経済のファンダメンタルズは違う。信用クレジットも違う。米ドルとのリンクを維持するには、付加価値的な魅力が必要だ。そこで金利を高めに誘導し、金利享受を目的とする外国の投資家や投機家に通貨を持って貰う必要があった。通貨が安定すれば、海外からの生産設備などの投資を促すこともできる。また、対円などで下げ続けているドルに連動することで、輸出競争力を高めることもできる。ドルとのリンクは意味があったのだ。

構造変化の兆しは1992年に表れた。中国改革開放政策の推進により、東南アジアに展開していた日系、欧米系企業の多くがより人件費の安い中国への生産シフトを強めたのだ。当時から、中国人民元は米ドルにリンクされているので、タイから中国への生産シフトに為替リスクはなかったと言える。

また、1995年になって、アメリカが「強いドル政策」を採用、日本もそれに呼応したかのように大量のドル買い円売り介入を行い、ドル円は1997年までに約50%上昇し、120円台をつけた。ドルの上昇につれて、ドルペッグ制のアジア各国の通貨も上昇、輸出が急減し、経済成長が落ち込むこととなった。

ドル円長期チャート
ドル円長期チャート

矢口 新

矢口 新

大学卒業後、国内外の大手証券会社にて為替、債券のディーラー、機関投資家セールスを勤めた後、株式会社ディーラーズ・ウェブを創業(2002年5月~2013年5月)。2013年4月まで同社代表取締役社長。