FXコラム

Stay Big or Go Small              (大国のままいるか、小国となるか?)

【著者】

マーケット情報|2014/09/16

スコットランドの独立を問う住民投票が9月18日に行われる。先日の世論調査で、独立賛成派が51%となったことから、英国のキャメロン首相は同地を訪れ、スコットランドをファミリーと呼び、大英帝国に留まるようにと説得した。同地域の2大銀行、RBSとロイズは、独立すれば本社をイングランドに移すと牽制した。

イングランドとスコットランドが同じ国となってから307年も経つ。まさか、分裂を願う人々が、スコットランドに半数以上もいるとは、ほとんどの人が考えなかったことと思う。

ロンドンで働いていた頃、車でスコットランドの北端まで走ったことがある。イングランドからスコットランドに向かう主要幹線道路の標識には、「北」とだけあった。

エジンバラやグラスゴーは大都市だが、他は日本の田舎町よりも小さな町が多く、最北部はまさしく最果てといった趣だった。北海道の北部のように、緑が溢れているわけではなく、夏でも木も草も生えないような黒っぽい岩場が続いていた。天気は変わりやすく、風はいつも強く、晴れていても、すぐに霧に覆われるような土地だった。

そういう所にも人は住んでいる。家はあばら家のような小さく粗末なものばかりだった。興味深く思ったのは、そんな何の価値もないような不毛の地に、岩や石を積み上げて囲いを作り、隣家の土地との境を明確にしていることだった。所有権をはっきりさせるためには当然なのかもしれないが、その土地が斜面勝ちの岩石砂漠のように、あまりにも荒涼としていたので、不思議な光景だった。

トルストイに、「人にはどれだけの土地がいるか」という小品がある。王様に、日の出から日の入りまで走り通した内側の土地をあげると言われ、命の限りに走り通したイワンが、日没直前に息絶えたという話だったと思う。

スコットランドの誰もいないような大自然を小さく小分けして、ここからは自分の土地だと主張するようなのは人間だけかと思い、そんな話を思い出したのを覚えている。

スケールこそ違うが、ブリテン島を2分して、ここから南はイングランド、ここから北はスコットランドとしたものが、本物の国境になろうとしている。現実に東西に延びる石垣のようなものも存在する。

私にはスコットランド人の真意が分からないが、分裂すればウクライナのような立場になるかも知れない。

ソ連邦の崩壊により、ウクライナは大国から小国となった。ソ連は国連の常任理事国で、以前は世界の陣営を2分するほどの大国だった。崩壊後、ロシアも没落したが、それでも拒否権を持つ国連の常任理事国に留まり、BRICSとしても注目された。今も、中東情勢ではロシアの拒否権が何度も発動された。

ウクライナはバルト三国とは違う。バルト三国は北欧に近く、ソ連が支配していた国々だ。崩壊でNATO寄りとなったのは理解できる。一方のウクライナはブレジネフ書記長を出したことでも分かるように、ロシア、ベラルーシ(白ロシア)と共に、ソ連邦の中核だった。言語的にもバルト三国は北欧系だが、ロシア、ベラルーシ(白ロシア)、ウクライナの言葉は同じスラブ系で、方言ほどにしか違わない。ちなみに、ベラは白、ルーシはロシアだ。

ソ連邦の崩壊で、ウクライナは国際的な発言力はおろか、経済的に自立すらできない小国となった。また、国内に多くのロシア人を抱えることから、ロシアと仲良くしなければ、常に民族問題が持ち上がる。援助目当てや、近親憎悪に似た反感で、ロシアを仮想敵国と見なすNATOの拡大に同調すれば、国内に大きな問題を抱えてしまうのだ。

スコットランドも同様だ。王族でも両地域で婚姻を重ね、エジンバラ大学にも通うように、イギリス人はスコットランド、イングランドの区別なく移動し、居住している。純粋のスコットランド人、イングランド人とどこまで分けられるかすら疑問だ。だからこそ、独立派が51%というのは、大方の理解を超えていた。

しかし、こうなれば、独立の可能性は低いとも言えなくなってきた。スコットランドがイングランドから離れると、ユーロ圏が引き入れようと手を出すかと思う。あるいは、北海原油を武器に、ノルウェーのような立場を維持しようとするかもしれない。

英国は国連の常任理事であり、G5のメンバーだ。スコットランドが離れても、その地位は不動かと思う。一方のスコットランドはウクライナのように何もかもを失ってしまう。そして、スコットランドが持つ北方の利権を巡って、世界の不確定要素がもう1つ増えることになる。

【みんかぶマガジン】矢口氏のコラム
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矢口 新

矢口 新

大学卒業後、国内外の大手証券会社にて為替、債券のディーラー、機関投資家セールスを勤めた後、株式会社ディーラーズ・ウェブを創業(2002年5月~2013年5月)。2013年4月まで同社代表取締役社長。