FXコラム

☆2017年の見通し2

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【前回記事】☆2017年の見通し:ポピュリズム

2016年に起きたこと

2016年は、それ以前には想定していなかったこと、そして、今後の世界を変えてしまうようなことが起きた。最大のものを3つ挙げると、日銀のマイナス金利政策、ブレグジット、トランプ氏の大統領選勝利だ。

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必ずしも、こうしたイベントだけが相場を動かしたわけではないが、1月には120円台を超えていたドル円は、マイナス金利政策が導入された2月以降、夏場にかけて100円割れを2回つけ、日銀がイールドカーブ・コントロールで緩和政策の限界を露呈した9月までドル安円高基調となる。
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6月のブレグジットで、リスク回避をしてつけた98円台が、結局は2016年の安値となった。10月からドル円は底を打ち、トランプ氏当選では一時的に下髭が伸びたものの、年末にかけて年初来の水準にまで戻ることとなった。

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マイナス金利政策が想定外のイベントであったのは、市場機能、市場経済の全否定を意味する政策だからだ。

資産を持つ者が、持たざる者に融通して、利息に相当するものを手にするのは、人間生活の道理に即した行為で、市場はそうした自然な行為の上に成り立っている。

資産を住宅としよう。大家が賃貸住宅居住者から家賃を受け取ることは、市場経済を裏切らない。ここにマイナス家賃政策を導入すればどうなるか? 大家が損害を防ぐためには、賃貸に出すのを止めるしかない。それでも、住まなければならない人はどうするか? あるいは闇市場で、法外な家賃を払わされることになる。

金融の世界では、銀行が資産家と需要者の間にたち、市中での資金の融通を手助けすることで、需給バランスの調整役として機能してきた。そして、様々な手数料に相当する利息を受け取ってきた。マイナス金利政策は、そういった本来の銀行業務を否定するものだ。

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もっとも、マイナス金利政策は、欧州中銀の政策を真似たものだ。
欧州の政策はすべてが欧州統合へ向けたもので、そのために、市場経済や多様性にはあまり敬意を払ってきていない。
デフレ対策として、マイナス金利政策や量的緩和という「力技」を駆使しているが、銀行は本業での収益が見込めなくなり、かえって金融危機のリスクを広げている。

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例外は、アイルランドだが、同国だけが、財政規律を故意に無視したり、多国籍企業誘致のための税制を導入したりと、欧州の統合へ向けた画一化とは一線を画している。

欧州は多くのものを犠牲にして、それでも統合に向けての歩みをすすめている。
とはいえ、デフレ環境は続き、失業率は高く、不良債権は一向に減らない。その最大の原因が財政政策だ。

ユーロ導入による通貨・金融政策の統合は、その後の財政資金、年金基金の統合を前提としたものだった。その為に、各国に財政規律を強いて、統合時の不公平をなくそうとした。

しかし、どの国にも適切な通貨・金融政策は事実上、不可能で、国家間の経済力の差は大きく広がった。それでも、財政規律を守ったために、経済格差は更に広がった。
その結果、各国の財政は統合を許さないほどに格差が広がり、もはや、欧州統合への具体的な道筋が描けなくなってきた。

ブレグジットの背景の1つには、それでも欧州統合の夢を追い続けるか、現実を直視するかの選択を突きつけられたことがある。

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ブレグジットの時もそうだったが、トランプ氏の勝利でも、両国の国民が決めたことなのに、随分と貶める報道がなされた。

しかし、投票結果から分かったのは、トランプ氏を支持したのは、建国以来の米国の屋台骨を支えてきた、白人の中間層だった。

クリントン氏支持は、地域的には両海外沿いの、金融、芸能、IT関連といった、分類すれば派手な職種の人たちや、黒人層だった。メディアに近いことが報道が偏向していた理由だろうか?

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私が子供の頃、テレビではアメリカン・ファミリーのホームドラマが溢れていた。「パパは何でも知っている」や、「うちのママは世界一」といったドラマでは、GEの冷蔵庫などモノに溢れ、毎日がパーティーのようなアメリカン・ドリームが喧伝されていた。トランプ氏がティーンだった時代だ。

今、その米国の屋台骨が揺らいでいる。

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2016年は、他にも年初のチャイナショック、原油安、10月以降の債券から株式への資金大移動、米利上げ、OPECと非加盟国の協調減産合意、イタリヤ国民投票と、ビッグイベントが目白押しだった。

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次回は、2017年のイベント。

矢口 新

矢口 新

大学卒業後、国内外の大手証券会社にて為替、債券のディーラー、機関投資家セールスを勤めた後、株式会社ディーラーズ・ウェブを創業(2002年5月~2013年5月)。2013年4月まで同社代表取締役社長。